EF58【07①】61+ゆとり


1年以上に亘って続けてきたEF58 20years、いよいよラストイヤー2007年に突入。

始めた頃にも書いたけどラストイヤーというのはあくまでも自分にとっての“ラスト”ということで、実際ロクイチの最後の自走は翌2008年だったし、イゴマルにしたって一応201110月末までは現役。
でも本線上の活躍という観点からするとこの2007年がゴハチ最後の年といっても過言でもなく、奇しくも民営化20年目、この20年が長かったとみるか否かは人それぞれだと思うけど、自分にとってはやはりよくここまで生き延びたものだ…という感じ。

もっともイゴナナには“引退”、イゴマルには“凍結”の二文字がすでに透けて見えていたこの年、けれどロクイチに関しては当時の社長自らが“現役続行”を表明していた機関車。
それゆえ、まさかこの年が見納めになってしまうとは夢にも思っていなかったのだが…。

それでは2007年最初の記事、3/11に運転されたロクイチ+ゆとり。
ちなみにこのゆとり牽引の前週、忘れもしない3/3には東海道線で浪漫を牽引。しかしこの日は583系の『ゴロントなのはな』が外房線までやってくる。
583系を都心近くで妥協すればロクイチは余裕で間に合うけれど、関東全域曇り予報だったその日、衛星画像を見る限り房総半島南部はまだ晴れ間が出る可能性がありそう。
それに外房線まで来るとなればやはり単線片ポールで撮っておきたいところ。

悩みに悩んだ末、一世一代の大勝負に出ることに。
ハンドルを向けた先は南。目的地は上総一ノ宮~東浪見の定番築堤。晴れればバリ順!!
でも世の中そんなにうまくいく訳ない。
泣きたくなるほどの真っ暗な空の下、583は結構な勢いで通過。
現像上がったの見たら、そりゃ1/250なんかで撮りゃブレてるに決まってるわ(←それでもこれが絞り開放。ポジの見た目は真っ暗w)

そしてここからが勝負。
当然圏央道なんてまだ延伸してなかった11年前、下道で木更津へ抜けアクアラインを爆走!
浮島JCTを前にして多摩川鉄橋なら間違いなく間に合う時間。しかしここで賭けに出て横浜方面に向かってしまったのがいけなかった。
湾岸線から狩場で降り境木跨線橋に着くと、丁度モニターをのぞき込む人達の姿が。そして微かに残る客車の排気ガス臭。
終わった…。

しかもこの日はなぜだかかみさんと子供(まだ1)を乗せていて、ベビーシートで横向きに寝かせていたら髪の毛がチリチリ。
どうやら摩擦でそうなってしまったらしく、583は真っ暗ブレブレ、ロクイチ浪漫はタッチの差で撮り逃し(※それでもこれ以上早くは着けないというレベルだったのだが)、そしてかみさんから散々怒られるわとまったくもって最悪な一日。まさに踏んだり蹴ったり。
『二兎追うものは一兎も得ず』という諺なんぞ一切関係なかった自分の追っかけ撮影、この日はじめて屈辱を味わうこととなった。

そんな悔しさの中迎えた翌週3/11
この日は爆弾低気圧みたいのが日本を横断していて関東も朝から大荒れ。ほんとに列車走るの?というような天気。
でも衛星画像とアメダス日照時間を見る限り西から凄いスピードで天気が回復してきている感じ。もしや、これは、奇跡が起きるかも!?

そう、せっかくロクイチが走っても朝に下るものばかりで鉄泣かせだった高崎線、でもなぜかこの団臨はお昼くらいに都内を出発。
もしや晴れたら半面くるかも…と祈りながら向かったオカポン。
しかしこの日はとにかく風の強い日で自分の鉄歴史の中でも三脚をバックドロップした157ナコ座、爆弾低気圧通過後に宮崎県内で撮ったDo2のにちりんに次ぐ3番目くらいの日。

全体重でゲバを押さえこんでいても体ごと吹き飛ばされるほど。ピン合わせもアングル合わせもまともにできないような状況でそれを後ろがボワボワになってる言い訳にする訳でもないんだけど、まぁあの日あの場所にいた人ならあの時の凄さはお分かりかと。



結果的に半面来てたのかもよく分からないけど、追っかけた先の松井田の築堤では時間を勘違いしてのんびり場所探しをしていたら凄まじいスピードでロクイチが坂を登って行き、とりあえずカメラを向けて撮った1コマ目はブレブレ。
次コマ(↓の写真)は先台車が柵に引っかかってるわポール前ギリギリだわ原版は露出すっ飛びだわでいつもならゴミ箱直行レベル。
でも1秒でも遅かったら撮れなかったある意味貴重な一枚()



なんとかここでリベンジしておかないと…

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yuno

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