《プラリバ102》東京駅SP③ -65Pの時代-

昭和39年10月1日。遂に東海道新幹線が運転開始。

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東京~名古屋~大阪の大動脈は新幹線が主流となり、これにより在来線の長距離昼行特急・急行列車が大幅に削減。
しかしながら、庶民にとってまだ航空機はそう易々と手が届くものでもなく、かつ高速道路も充実していなかった当時、時間の有効活用、そして費用の面からも長距離移動の手段として夜行列車は最善の策であり、山陽本線全線電化もあわせこの改正では前年から分割運転されていた「みずほ」大分行き編成を新たに「富士」として設定することとなった。(151系からの名称移行)

ちなみに、前年12月の広島電化を機に東京発着ブルトレの牽引機はEF60-500に変更されており、あと10ヶ月早ければゴハチの富士マークなんかもあったんだろに…などとも思ったのだが(代走とかであったのかな?)、このEF60-500もあまり評判がよろしくなかったようで、昭和40年(1965年)10月には高速運転可能なEF65-500番台に変更。

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このロクゴP型の牽引期間はその後13年間におよぶことになるのだが、その間、昭和47年(1972年)3月には20系の置き換えとして14系寝台客車が登場し、あさかぜ、みずほ、さくらへ投入。
お下がりの20系を用いる形で瀬戸・出雲・いなばが特急に昇格。

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更に九州ブルトレの運転区間がほぼ定まった50年(1975年)3月の改正時には「紀伊」もブルトレの仲間入り。

しかしながら、浜松区のゴハチが牽引していた「いなば」(1978年出雲へ統合)と「紀伊」(1984年廃止)はヘッドマークの掲出は無し。
二階建て列車だからか、釜が東機持ちじゃないからか、組合絡みなのか、はたまた運転区間が短いしどうせ夜中の走行だから付けようが付けまいが関係ないだろうということなのか。

明確な理由は分からないけれど、もしも1・2年ずれていたら、もしも時代背景が違っていれば、という“たられば”が多く存在するのもこの趣味の醍醐味。
前述の富士じゃないが、EF58の紀伊とか明星、北陸、北星。
もしあったらどんな感じになってたのかな・・・。

そして、マークと言えば、特筆すべきは79年夏からのテールマークイラスト化。
まさにちょうどこの頃から空前のブルトレブームが到来。

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空前の・・・とか若い人からしたら「何誇張してんだこのおっさんw」なんて笑われそうだけど、SLブームはまだ鉄道ファンだけのものだったが、このブルトレブームは本当に日本国中、少なくとも当時の少年達の9割近くははまっていたほど凄いブームだったのだ。

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(名古屋駅SPの時に忘れていた「紀伊」)

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yuno

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