《プラリバ103》東京駅SP④ -時代は省エネ-

103記事目となった“プラレールでリバイバル”、せっかくなので今回は103系から(笑)

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世間では省エネルックなるものが流行っていた70年代後半、鉄道界隈ではブルトレブームが日本国内を席巻した、ということを前記事でも書いたが、流行り物はすぐに廃(すた)れ物になっていくのは世の常。
あのへんてこスーツ同様、朝から晩まで東京駅でうろつくガキンチョ共もそのうちサーっといなくなっていくだろう・・・

と思いきや、テールマークの人気に気をよくした国鉄(というか、ご御大)の次の一手は電車・気動車特急のイラストマーク化。
それまで東京駅の地上2つのホームだけで済んでいたガキンチョの駅構内大運動会は、地下、そして上野駅・新宿駅へと波及し収拾のつかない事態にw

そして、まさにその頃、つまりブルトレ牽引機が65PからPFに変わった昭和53年(1978年)秋以降はその大運動会に自分も初参加!!

多分、初めて行った時は父ちゃんとで、その時、ブルトレがPFに代わっていてちょっとショックを受けたのだけど、小4・5くらいになると臨時列車が多く運転されるお盆や年末年始・GWなどは友達と突撃。
そういう時期だと必ず20系の臨時あさかぜが走ってたんだけど、当時はまったく興味なかったんだよなぁ。
しかし、当時の東京駅と上野駅、経験している人達(今のアラフィフ)にしか分からないけれど、本当にもう凄かったんだから!!

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ちなみに、神奈川中央部に住んでいた自分にとって、上野口夜行はもとより銀河・瀬戸・出雲を撮ることも至難の業。
大体いつもそのあとの時間帯からが撮影開始となり、一連の九州ブルの到着、そして183系と185系の踊り子の幕回し(※あまぎ狙い)を頼んでいつも断られ、ふてくされながら地下でストロボ焚いて房総特急。
その後上野に行き地平・高架ホームを行ったり来たり。

上野では頼めばいつも幕回しをしてくれたし(当時はマークチェンジと言ってた)、というかいつも勝手にダイヤル回してたけど、夕方のみちのくとEF80の旧客まで撮ったあとは帰りがけに新宿駅であずさと週末特快(おくたまとかみたけとか)を撮り、ロマンスカーで帰宅。というパターン。
同じような行動をしていた方、結構多いんじゃないかな?

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ちょうどその時代に運転されていたロクイチのリバイバル「つばめ」「はと」「平和」を撮れなかったことは今でも悔やまれるけれど、そんなブームもその後の東北・上越新幹線開業による上野口特急大量廃止、東京口ブルトレのEF66化などもあって一気に消滅。
というのは外的要因で、一番の原因はブームだった頃のガキンチョがちょっと大きくなり、駅から線路端に行くようになったり、同じく当時流行っていたNゲージに行ってしまったり、アイドル路線に行ってしまったり、はたまた綺麗さっぱり足を洗ったり。
ということだろうか。
続く世代はそもそも出生数が少ないし、折しものファミコンブームで鉄道なんかに興味を持たなくなってたし。

ということで、この世代のアラフフィフおっさん達。
50オーバーはバブル期、49アンダーはロストジェネレーションと時代の流れに大きく左右される形となってしまったが、まぁ、そんじょそこらのことではこの道から足を洗うことはできない体質となっているのもまた事実。
世間では“老兵は死なずただ消え去るのみ”だが、この趣味業界、バイタリティに限って言えば、若い世代が古い世代を追い抜けることは、絶対に、ない(笑)

というか、185系が引退する前に“リバイバル代走あまぎ”とかやってくれないもんだろうか。
実際あったはずだし…。

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yuno

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