《プラリバ119》名所、鳥沢鉄橋 ~JR編~

鳥沢鉄橋JR(時代)編。

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緑色に塗り替わったのって90年代初頭くらいだったかな?
あっ、ナノ座のことではなく、鉄橋の色の話。

ちなみに、ナノ座が白地に黄緑のツートンから深緑に赤・金帯に変わったのは民営化の年、87年。
かいじの運転開始は民営化後1年目の88年3月なので、実際こんなコラボはなかったという。

あっ、ユーロ正調編成なんてのもありましたっけ。

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そうそう、今だから話せる話。
本格的に鉄を始めた頃、まだ高2くらいだったか、当時つるんでいた2つ下のやつと鳥沢鉄橋に撮影に行き(←シナサロと江戸の併結だったような?)、鳥沢駅から現場に行くまでの上り坂で相当疲れ、そんじゃ帰りは鉄橋の橋桁の下の作業用通路を歩いて行こう!!
ということになってどこからか忍び込んで歩いて行ったのだけど、歩くに連れて増してくる恐怖。
足元の鉄板の下は40mの空間。吹きすさぶ風に頭上を通過する列車の轟音も拍車をかけ、完全ガクブル状態。

♪ もうこれ以上先へは・・・・進めない

目の前に挫折が立ちはだかり、結局橋脚1本分も行けずに勇気ある撤退。
いや~、あれは本当に怖かった・・・。
というのはフィクションということで。

そして、最後は20年前、99年4月のルクセンブルクお召し。

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この時はとあるお宅の2階の部屋から撮影させてもらったのだが、ご近所のマダム様方もいらっしゃって、「キャー美智子さま~」「皇后さま見えたわよ~」と大騒ぎ!

今も昔も変わらずか(笑)
(↑来年の皇室カレンダーもらって喜んでる自分も人の事言えないけれど…)

まっ、そんな感じで本日の鳥沢鉄橋をもって中央線シリーズは終了。
これをやっていた当時、甲府駅スペシャルとか辰野スペシャルとかも考えていて、それぞれ身延線色、飯田線色のクモユニの外貼りシールも印刷し、119系も前面はほぼ完成していたのだけど(※211系の顔を改造)、結局それ以外の車両、115系とかED62をどうするか結論が出ず、企画倒れ。

いつの日か、時間とやる気ができたら再チャレンジしてみたいのぉ。
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yuno

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